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第11章:秋田県ババヘラアイス売りおばあちゃんの言葉が、心に残る

アスピーテラインで秋田へ バイク女子

秋風が吹き始め、夏の終わりを確実に意識したある日。

私は焦りを感じていた。

もう夏が終わるんだ。



あの場所にも、あの道にも行けてない。

その夏は、なぜか無性に岩手県の八幡平へ行きたかったのだ。

しかし雨降りの日が多く、グズグズしていた。

そのうちに、夏が終わろうとしていた。


著者プロフィール

名前:みどりのシカ

女性だけどバイクに魅せられた。20歳で初めて自転車に乗れるようになり、その2年後に中型二輪免許取得。きっかけは片岡義男「幸せは白いTシャツ」と三好礼子氏との出会い。

20代の頃、ほぼ毎日オートバイに乗っていました。遠くは四国、沖縄まで旅をしました。わけあってオートバイを手放してから、かなりの年月が経過。
けれど幸運なことに、いきなりバイク復帰しました。25年ぶりの相棒は、KAWASAKI 250TR。愛称をティーダと名付けました。ただいま、自分慣らし中です。




夏が終わってしまう

夏が終わる前に

朝起きたら、空は曇っていた。

天気予報は、曇りのち雨と言っていた。

しばし迷う。

行こうかどうしようか。

だけど、もう夏が終わるのだ。


出発は唐突に

「ちょっと行ってくる。岩手。あさって帰ってくる。たぶん」

急いで、簡単な着替え1日分、なけなしの現金を入れた財布、レインスーツをバッグに詰める。

Tシャツにジーパン、ヘルメット、グローブ、ブーツ、ジャケットを身に付ける。

これで準備は完了だ。

いつものように、母に一言だけ言って玄関を出る。




急いでバイクのキックを踏み込んで、暖気もそこそこに走り出す。

母のおにぎりも間に合わなかった。

もう、昼を過ぎていた。


仙台~盛岡

仙台~盛岡

仙台の実家から、国道4号線でひたすら北上するルートを選んだ。

国道4号線は、東京を起点に宇都宮・福島・仙台・盛岡を経て青森に至る、日本一長い国道だ。

盛岡まで4号線を走り通し、気付いた時には日が暮れかかっていた。

そして、しとしとと雨も降り出した。



今日はこれまでと、盛岡市街の公衆電話に駆け込み電話帳で宿を探す。

するとアスピーテラインにほど近いところに宿がある。

ここからだと、あと1時間ほどは掛かりそうだ。

近くの市街地に宿を取るか、走り続けるか。



夏の終わりという季節がそうさせたのか

雨の中もう一頑張り、必死で走って宿にたどり着いた。

しかしそれから次の朝を迎えるまでの記憶が無い。

泥のように眠ったか、眠れずに寝返りを打つ夜だったのか。




翌朝、早い時間にトイレに起き、窓を開けると爽快な青空が広がっていた。

気分は急上昇だ。

急いで朝食を済ませ、レインスーツをたたんで荷物をまとめ、身支度をして宿を出る。

天高く、清々しい秋空の朝だった。


八幡平アスピーテライン

八幡平アスピーテライン

バイクにまたがり、念願の八幡平アスピーテラインを目指す。

八幡平は岩手と秋田の県境に広がる標高1500m前後の高原が続く山岳地帯。

ちなみに「はちまんたいら」では無く、「はちまんたい」だ。

そこを貫く観光道路がアスピーテライン。

当時はまだ有料道路だったが、早朝で人のいない料金所はフリーパスだった。

料金所に近い宿だったのが功を奏した。





なんて気持ちが良いのだろう。

展望がよく、快適な走りが楽しめるワインディングが続く。

東北屈指のツーリングスポットと言われるのも納得だ。



途中の藤七温泉で湯につかり、近くの山の中の大きな岩の上で昼寝をした。

いま思えば、熊の心配があったはずだが、当時の私にはお構いなしだ。


秋田県ババヘラアイス売りおばあちゃんの言葉が、心に残る

秋田県ババヘラアイス売りのおばあちゃんの言葉が、心に残る

アスピーテラインを走り終えると、国道341号線にぶつかる。

ここはもう秋田県だ。

右折すれば秋田県を北上し、青森へ向かう。

左折すれば田沢湖を経て帰路につく。

しばし考えた後、翌々日にはバイトの予定があるので、私は後ろ髪を引かれながら左折した。

どこかでもう一泊して、家に戻ろう。



秋田県ババヘラアイス売りおばあちゃん

photo by 児玉冷菓

秋田県内の峠道には駐車スペースがあるだけの広いパーキングエリアがある。

そして、パーキングエリアごとに、ポツンとひとりカラフルなパラソルの下にババヘラアイス売りがいる。

大抵が、笑顔の可愛い小柄なおばあさんだ。

ババがヘラでアイスを盛り付けてくれるのでババヘラアイス。


帰路を急ぐ私だったが、カラフルなパラソルを無視することができなかった。

パーキングエリアに乗り入れると、少し離れた場所にバイクをとめた。

小柄なおばあさんがひとり、にこにこと待っている。

近づいて行くと、ババヘラアイスを勧める声掛けをしてくれる。


心に残る会話

「冷だくてんめぁから食って行って」

「ひとつ下さい」

「おばさんは、ひとりでここにいるのですか?」

「そおよ。あさま、男鹿がらみんなで車さ乗り合いして、一人ずづ下ろされで、夕方迎えに来るまでこさいるのよ」

「え?ひとりで一日中、ここに?」

「姉っちゃは、自由でえねぇ。ひとりでどごへでも行げで」




道の上だけが

道の上だけが

おばあさんが、しみじみとそんなことを言う。

私は急いでババヘラアイスを食べ、会釈だけして早々にその場からバイクで走り去った。

トンネルに入ってボロボロと泣き、トンネルを抜けるころ、涙は乾いていた。



自由とは、居場所があってこそ言えることだ。

居場所の無い者には、底なしの憂鬱のようなものだ。

走り続けていないと、どこにも居場所が無いのだから。

あの頃の私には、バイクで走っている時の道の上だけが、私に許された唯一の居場所だった。




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