バイクの楽しさは、風を切る感覚・流れる景色とともに、人との出会いだ。
22歳からバイクで走り始めて、いろいろな人たちとの出会いがあった。
しかし振り返ってみると記憶に残っているのは、出会った人たちのほんのひと言だけだ。
けれどその一言の記憶が、今日も私をバイクにいざなう。
気仙沼で出会った女性もまた、そんな思い出の1つだ。
著者プロフィール
名前:みどりのシカ
女性だけどバイクに魅せられた。20歳で初めて自転車に乗れるようになり、その2年後に中型二輪免許取得。きっかけは片岡義男「幸せは白いTシャツ」と三好礼子氏との出会い。
20代の頃、ほぼ毎日オートバイに乗っていました。遠くは四国、沖縄まで旅をしました。わけあってオートバイを手放してから、かなりの年月が経過。
けれど幸運なことに、いきなりバイク復帰しました。25年ぶりの相棒は、KAWASAKI 250TR。愛称をティーダと名付けました。ただいま、自分慣らし中です。
気仙沼で出会った女性は、満面の笑みで彼女に言った
バイクで走ることしか考えられなかった20代、どこへ行くにもバイクで行った。
夏でも冬でも出かけていった。
従姉や親友の結婚式へもバイクで行った。
関東の元彼にも、バイクで会いに行った。
つまり、バカだった。
ある年の夏、叔父の家族が気仙沼大島へ遊びに行くから来ないかと誘ってくれた。二つ返事で私は行くことに決めた。
もちろん、私はバイクで行った。現地集合だ。
国道45号線をひた走る
家を出発して街を抜けると、国道45号線をひた走る。
塩釜港、松島海岸を右手に見て進むと、いったん海岸線から離れて国道45号線は内陸へ向かう。
そのまま石巻の街なかを過ぎると、更に海を離れて内陸を北上し、南三陸町で再び海へ戻る。そこからはリアス式海岸に沿って、いくつもの漁港や浜と、岬の森の中を通るアップダウンとワインディングを繰り返す。
海が見えるかと言うと、期待したほど見えはしない。
たいてい、岬の高台を下ると小さな漁港があり、右手に海が見えてくるが、またすぐに岬の森の中へと上っていく。
どこまでも海を見晴らして、海岸線をひた走るイメージは無残にも打ち砕かれる。
けれど、ほんのつかの間に走りすぎる小さな漁港の町の愛おしさはたまらない。
集落には人の気配が無く、低い防波堤の向こう側には、小さな漁船が何艘か並んでいる。
この時間には、早朝の漁を終えて船も漁師さんたちも休んでいるに違いなかった。
大型トラックと共に走る
当時この地域には、北への物流の車が快適に走れるバイパスが無かった。
国道45号線が唯一だったので、国道45号線はトラック野郎が勇ましく走る道でもあった。
例にもれず、私は大型トラックの編隊に飲み込まれながら走り続けるしか無かった。
大きな車体で前方が見渡せないので、ブレーキのタイミングが合わず気疲れする。
小さなバイクを見逃さないだろうか、という不安も募る。
決してツーリングに適した道では無いけれど、バイクに乗っていれば楽しかった。
そうこうしている間に、プロドライバーの安定したスピードにリードされるようにして、私は気仙沼にたどり着いた。
気仙沼港 フェリー乗り場へ
私はそのまま港に向かい、大島へのフェリー乗り場にたどり着いた。
当時、大島へはフェリーでしか渡れなかったのだ。
そして、私はフェリーがお気に入りだ。
フェリーがバイクを積んで海の上を移動するのは、ドキドキワクワクする。
岸壁からバイクで船に乗り込む時、島に着いた船から岸壁にゆっくり走り下りる時。
少しの緊張感と共に、ああ、旅してるな、という気分になる。
出会った女性は、満面の笑みで彼女に言った
やっと桟橋に着いた私は、『大島行きはここで良いのですか?』と、待合室にいたおばさんに聞いた。
その時の私の身なりは、こうだ。
- 足は勇ましいガエルネオフロードブーツ
- 薄汚れた軽いバイクジャケット
- 履き古したジーパン
- ヘルメットを片手に
- 髪はボサボサぺったんこ
おばさんは、満面の笑みでこう言った。
「お嬢さん、まず、鏡見ておいで!」
え?何のこと?急いでるのに・・・。私はしぶしぶトイレへ行ってみた。
ああ、鼻と口の周りが真っ黒だ。まるで「カールオジサン」。
笑うしかなった。
水で洗ってもちゃんと落とせなかった。
当時は排ガス規制も緩かったから、大型トラックの多い海岸沿いの道などを数時間走ると、たいていこういう顔になるのだった。
恥ずかしかったけど、若かった私は笑ってごまかした。
そして、その場の雰囲気が、なぜか楽しかった。
こういった出会いがあるのも、バイク旅ならでは。
一言交わしただけだけれど、その時の彼女の一言は今も鮮明に覚えている。
3.11 東日本大震災
2011年3月11日の東日本大震災で、全てが大きく変わった。
3.11の後に建造された防潮堤は、ことごとくその眺望を変化させた。
国道45号線から海は更に見えなくなった。そして、小さな漁村の多くも失われた。
そして、2021年に全線開通した三陸縦貫自動車道が、今では物流の主要道となっているようだ。
多くのトラックがそちらに移り、国道45号線は少し走り易くなった。
気仙沼大島へも、2019年に完成した気仙沼大島大橋で渡れるようになった。
フェリー乗り場も無くなった。
全てが変わったけれど、気仙沼で出会った女性の記憶は、今も変わらず笑顔のままだ。
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