PR

第25章:25年の時を経て、オートバイのある日常に戻ろうと決めた日

第25章 気づき バイク女子

レンタルバイク2度め。

とうとう、桜の季節にバイクに乗ることができた。

行き先は、単純な道をひたすら走れば行ける秋保に決めた。バイクで行けば、たいした距離でもない。

桜の名所ではないけれど、季節は桜の季節。きっと咲いているに違いない。

たった一本の桜でもいい。バイクでお花見に行けるなら、それで良かった。

桜は日本のあちこちに、普通に植えられていることを、いつもこの季節になると、知ることになる。

だから、秋保にだって桜の木はあるはずだ。


2度目のレンタルバイクツーリング、桜とおはぎとおじさんと

2度目のレンタルバイクツーリング、桜とおはぎとおじさんと

あった。

予期せず、素晴らしい桜がたくさんあった。

並木のように人工的に並べられた桜ではなく、

家の庭、

神社の境内、

二口街道沿い、

山の林の中、

急カーブの谷の中腹。

いろいろな場所に、思いもよらない立派な美しい桜の木がたくさんあった。

そして様々な色や大きさで花が咲き誇っていた。

なんて美しいのだろう。涙が出そうだった。




桜の神社とおじさんと

桜の神社とおじさんと

とある神社に差し掛かった。小さな祠と鳥居が桜で囲まれている。桃源郷のようだ。

何時の間にかできてしまった連れが先を急ぐ。私は立ち止まらずにいられない。もう、先に行ってもらっていいから・・・と、バイクをとめて写真を撮る。

勝手に連れになったおじさんが、呼びに来る。理由を話してそこでお別れした。


年季の入った大型バイクのおじさん(たぶん同年代くらい)は、トイレ休憩した秋保里センターで出発の準備をしていた時に近寄ってきた。

どこから?レンタルバイク?え?何年ぶりだって?どこへ行くの?前は何に乗ってたの?ふむ、セロー、と、まるで尋問のようだ。




さいちのおはぎ

さいちのおはぎ

じゃあ、とお別れして、そこからほど近い店へ、秋保に来たら外せない土産を買いに行った。

さいちのおはぎだ。温泉街の小さな食料品店が手作りしている、ごく普通の大きめの、素朴なおはぎ。これが、大ヒットした、クセになる美味しさのおはぎなのだ。

おはぎをリアシートのバックに入れ、慎重に公道に出る。




ふと、路肩におじさんの乗った大型バイク発見。セローの私が近づくと同時に、先導するかのように発進した。

そこからずっと、秋保大滝方面へ2台のツーリング状態となる。




旅は道連れなのか?

旅は道連れなのか?

何だろう、これは何なんだろう、どういうこと?疑問が浮かんでは消える。

写真を撮るために路肩にとまると、はるか先のオジサンのバイクも路肩にとまる。

明らかに先導している。しかも勝手に。




25年ぶりの公道2回目のレンタルバイク、ソロツーリング。

トイレ休憩のパーキングでそれを聞いたおじさんは急に顔色が変わった。よく考えれば、心配でたまらなかったのだろう。



でも、お願いしてない・・・



すみません、写真撮りながらゆっくり進むので、先に行って下さい。私は神社の横でそう告げた。

おじさんはしぶしぶ走り去ったが、なんだか嫌な気持ちになった。桜の色が急にくすんで見えた。



オートバイ熱の予感

あの桜の神社にもう一度行きたくて、行きたくて、私はバイクを買う決意を無意識のうちに心の奥に秘めたのかもしれない。

遠くへ行きたいがためではなく、近くにあって遠い場所、バイクや車じゃないと行けないその場所へ、何度でも行きたいがために、私はオートバイが欲しくなったに違いない。





3度目のレンタルバイクツーリング、痛恨

3度目のレンタルバイクツーリング、痛恨

バイクの勘を取り戻した気になった私は、その半年後、3回目のレンタルバイクツーリングを決行。

ずっと行きたかった場所に行くことにした。

距離は今までより長い。7時間のレンタル制限時間をフルに使う計算だ。





思い出の道を再び走る

思い出の道を再び走る

季節は秋。Twitterのタイムラインには、楽しげなツーリングの呟きに混じって、事故の報告が増えていた。

なんとなく不安が募る。体調も猛暑の疲れが出ていた。

今考えれば、レンタルバイクで走るというワクワク感より、はったりで呟いていた責任を取るがため、無理している自分がいたような気もする。

バイク女子時代に大好きだった高原の道。ひとりのバイク女子と出会い、互いに写真を取って送り合った思い出のある道。



カタクリの咲く、あの道へもう一度行ってみようと思った。

途中には草原もある。そこへも立ち寄ろう。




痛恨、後悔

痛恨、後悔

一歩一歩が痛くて辛くてたまらない。

若いファミリーに、バイクを起こしてもらったシーン、恥ずかしさ、諸々の失敗シーンの回想がグルグルめぐる。

痛い、怖い、つらい、しんどい、それを表情に表すのもためらわれ、平気を装って、名物のMOLK(モルク)をいただく。




夢にまで見た高原の素晴らしい風景、蔵王山を背景に、足元に近寄ってきた可愛らしい子ヤギをかまってあげる心の余裕すら無かった。

女であること、高齢であること、自分が乗ってきたバイクを自分で起こせなかったこと、こんな素敵な場所でこんな思いでいなければいけないことが恥ずかしくて情けなくてたまらなかった。

そう、3度目のレンタルバイクツーリングで、夢にまで見た目的地で私は立ちごけしたのだ。




高原の駐車場は、かなりの傾斜になっていることに気付けなかった。あっけなくコケて、右足がバイクの下敷きになって抜け出せなくなった。

恥ずかしさとショックで、バイクショップに連絡、相談することも思いつかず。高い保険料や補償料を取られているのだから、利用すべきだったと今でも後悔している。


レンタルセロー8時間と保険等々含めて1万5千円くらいだったか。ガソリンは満タンにして返すシステム。

無理やり引き抜いた足と強打した腰の痛みに耐えながら、気持ちが落ち着くまで草原のベンチに座っていた。

一通りバイクを見まわして破損が無いことを確認。唯一曲がったブレーキレバーを何とか操作してバイクを走らせる。




もう、ムリなのか?

もう、ムリなのか?

制限時間ぎりぎりにショップに帰り着き、事の次第を報告。

お怪我は無いですか?と言うスタッフに、腰と足の痛みに耐えながら、ええ、大丈夫です!と強がる必要は全く無かった。

きちんと、補償を使えるかどうかの交渉をすべきだったのだ。

自分を励まし、情けなさと格闘し、ゆるい上り坂を、ヘルメットとシューズとジャケットを積んだ自転車を押して歩く。



よいしょ、よいしょ、よいしょ・・・



もうすぐだ、もう少しだ、頑張れ自分。

足も腰もとても痛い。風が目に入り、涙がにじむ。

何やってるんだろう、あたし。

やっぱり、バイクはもう無理なのかもしれない。



25年の時を経て、オートバイのある日常に戻ろうと決めた日

25年の時を経て、オートバイのある日常に戻ろうと決めた日

最後に思い浮かぶのは、傷みを我慢し、不安を払拭し、交通量の多い、制限速度10キロオーバーを強いられるあの286号線を、冷静に走り通した事実だ。

曲がったブレーキレバーを慎重に操作し、無事ショップに帰り着いた自分はすごい、という思いだ。



たかがバイク、されどバイク。



バイクから学ぶことはたくさんあって、しかも生きる上で大切なことをいくつも教えてくれる。

何が起きても、第一段階では自分一人で対処しないといけないってこと。

助けを求めるにせよ、その後も1人で頑張るにしても、その判断を下すのは自分しかいないこと。

もちろん、意識のない状態だったら、その限りではないけれど。

そういうことにはならないように、極力努力するのもライダーの責任だと、私は思う。


一つの決断

3回目のレンタルバイクの後、しばらくバイクには乗る気になれなかった。これでバイクとの付き合いは本当に終わるのかとも思った。

そして、その1年後、凹んだ足の痛みを忘れた頃、私は一つの決断をした。

バイクを楽しむには、何度も練習が必要だ。公道に慣れるためには、とにかく何度も走るしかない。



バイクを買うしかないじゃないか。




併せて読みたい

タイトルとURLをコピーしました