学生最後の年、私は自動車免許を取るべく教習所に通ってた。
その日も教習コースを眺めながら、順番をベンチで待ってた。
ふと、一台のバイクがクルクルと小さな円を描いて回っているのに気づいた。
バイクを思いきり倒し、身体は路面すれすれ。
エンジンの轟音と今にも転倒しそうな様子を見て、私はきっぱりと言った。
「一生、バイクなんて乗らない」
著者プロフィール
名前:みどりのシカ
女性だけどバイクに魅せられた。20歳で初めて自転車に乗れるようになり、その2年後に中型二輪免許取得。きっかけは片岡義男「幸せは白いTシャツ」と三好礼子氏との出会い。
20代の頃、ほぼ毎日オートバイに乗っていました。遠くは四国、沖縄まで旅をしました。
わけあってオートバイを手放してから、かなりの年月が経過。また乗りたい気持ちを抱えてジタバタしています。
彼女はオートバイのシートのうえにあぐらをかいていた
自動車の免許が取れた頃、親友に彼氏ができた。
サークル活動を通じて知り合ったのだと、教えてくれた。
紹介してもらった彼氏と彼の親友は、バイク乗りだった。
赤い背表紙の文庫本
ある日、彼らと出かけた時、一冊の本の話になった。
バイクの物語だと言う。面白いから読んでみて、と初対面の青年が言った。
「でも、バイクに興味ないし。読まなくていいかも」
そういう私に、彼は言った。
その本の中には写真がたくさん入っていて、とても素敵なのだと。
私は写真部の部員だったので、素敵な写真というフレーズが頭に残った。
数日後、ひとりで本屋へ行ってみた。
そして文庫本のコーナーで、赤い背表紙の本と出合った。
片岡義男 「幸せは白いTシャツ」
Tシャツにジーンズの素敵な女性とバイクの写真が、さし絵となっていた。
著者は片岡義男。写真のモデルは三好礼子。
ホースの水でバイクを洗っている写真。
ページをめくって目に飛び込んできた写真に釘付けになった。
稲妻に撃たれたような気分のまま、本を買い求めて夢中で読んだ。
骨盤と背骨をまっすぐにのばして、彼女はオートバイのシートのうえにあぐらをかいていた。
片岡義男 「幸せは白いTシャツ」を引用
こんな出だしで始まる、二十歳の女性がバイクで旅をするだけのストーリー。
だけど、読みながら涙が出た。
心から求めていた世界がそこにあったからだ。
旅の途中で出会う情景や人々との出会いにより、素敵な女性になっていく女性。
彼女が自立していく過程において、バイクが不可欠なものとして描かれている。
私のスイッチが入った。
彼女の夢が、走り出した
当時、就職に失敗してフリータ―だった私は、自分の居場所を探してた。
そんなときに「幸せは白いTシャツ」と出会い、何かが動き出した。
『自分にも、バイクは不可欠だ!』
気が付けば、再び教習所への坂道を夢中で自転車を走らせていた。
バイトしてバイク免許を取り、ヘルメットを買い、バイクを買った。
それら一連の行動は、両親には事後報告だった。友人たちにすら言わなかった。
バイクを手に入れて、全ての夢が走り出した。
あてもなく走り続けた
毎日のように、バイクに乗った。
転んでも転んでも、
青たんや擦り傷が絶えなくても、
西へ東へ南へ北へとあてもなく走り続けた。
- 少しでもバイクに近づきたくてバイク用品店にバイトを申し込んだりもした。一度は断られたが、レース場の売店係として臨時で雇ってくれた
- バイク便でバイトもした。しかし荷台に乗せた箱の重さで、よく転んだ。相変わらずバイクはヘタなままだった
- 東京へも下道で何度か行った。
- 隣県の友人の家には、春になるのを待って峠を越えて行った
- 憧れの四国一周
- 沖縄一周の旅へも行った
記憶に残らないほど、あちこちを走り回った。
そんな私のバイク遍歴を紹介しておこう。
そもそもは、片岡義男の物語に登場する丸目のバイクや、ハーレーに憧れていたのです。
だけど、オフロードバイクを練習するとライディングがうまくなるというバイク屋の勧めを素直に受けて、オフロードバイク3台乗り継いだ。
DT200
KAWASAKIのW1やW3のようなバイクが欲しいといった私に、バイクショップの店長はYAMAHAのDT200を勧めた。
乗りやすいからと。
勧められるまま、最初のバイクが決まった。
セロ-225
2サイクルのDT200は快適な旅には向かなかった。
競技やスポーツではなく、自分は旅がしたかったのだと気がついた私は、セロ-225に乗り換えた。
セローは林道から日本海、沖縄まで、いろいろな場所に連れて行ってくれた。
けれど、遠くへ行くにはパワーが足りず、高速走行には向かなかった。
TT250
そんな頃に、バイクショップに逆輸入のTT250が入荷した。
DTやセローの足つきに困らなかった私でも、つま先しか着かないTT250。
けれど、より遠くへ楽に連れて行ってくれた。
バイクを手放せとは、言われなかった
勧められるまま乗ったオフ車たち。
高速走行では車体がぶれてミラーは役に立たず、身体への負担も大きかった。
でも、転んでも転んでもレバー以外壊れない、自転車感覚で乗れるオフ車が好きだった。
特に印象に残っているロングツーリングは、沖縄一周の旅。
その旅の途中で出会った人といずれ結婚するのだが、それが失敗だった。
その頃からバイクに乗ることも減り、生活もどん底へと落ちていった。
唯一救いだったのは、車にもバイクにも乗らない元夫が、バイクを手放せと言わなかったことだ。
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