さあ、次はどこへ行こうか。
そんなふうに単純に思えるようになったのは、つい最近のことだ。
中古の愛車、ティーダことKawasaki250TRとの日々が始まって約1年間は、何日に何キロくらい走って、どの方向のどこへ行くかを事前に決めていた。
100%楽しみで走るというよりは、バイクの調子を維持するため。
せっかく買ったバイクと、残り少ない私のバイク人生を無駄にしないため。
義務感というのか、いってしまえば打算的な思いにとらわれていた。
単純に純粋に「走りたい」という思いで次の休みを楽しみに待てるようになったのは、つい最近のことだ。

とうとう自分のバイクを所有して、乗りたい時に乗れるようになった 長年漠然と抱えてきた思いが、実現したのだ
シーズン2は、より遠くへ行くことよりも、無理なく少しずつ カッコつけではなく、ゆっくり確実丁寧に走ることを大切にしよう
みどりのシカ
さあ、次はどこへ行こうか

思い返せば、バイク女子1年目の頃も、最初の1年間は楽しくなかった。
思うようにバイクを扱えず、エンストと立ちゴケばかり繰り返していた。
打撲や擦り傷なども絶えなかった。
前記事で、バイクに乗って泣けた時の思い出を探してみたが、バイク女子1年目は散々コケて、その度に情けなさと痛みで泣いていたことを今思い出した。
エンストしてはキックペダルを必至で踏んで、半泣きで後続車に頭を下げて発進していたはずだ。
それでも毎日バイクに乗らずにはいられなかった。
走りながら、走り終えて、脛の打撲の青タンや血の滲んだ指先を土産に帰ってきてはこうつぶやいていた。
あたし、何やってるんだろう。
バイクなんて、何が楽しいんだろう。
寒いし、暑いし、痛いし、お金かかるし。
何も思い通りに出来ないし。
それでも、次の日にはまた乗らずにいられない。
バイク女子1年目の想い

そうして一年が過ぎた頃、不意に走ることがたただ単純に楽しくなった。
まあ、簡単に言ってしまえば、バイクとバイクに乗る自分に慣れたのだろうけど。
復帰してちょうど1年、あの頃と同じように、慣れたということか。
次の休みは晴れだ。
さあ、どこへ行こうか。
あの頃のように、風の吹くまま気の向くまま。
今日は東へ明日は西へ。
休みが続くなら、帰ってこなくてもいい。
行き当たりばったり、目にとまった宿に飛び込めばいい。
バイク女子時代の私は実家暮らしでほぼフリーター。
バイトも転々としていたから、お金は無くても自由な時間がけっこうあった。
それも、大人の事情というやつで、ほんの何年かのことではあったが。
時間だけは、いくらでもあった
ちょっと行ってくると言って、何日か帰らないことも多かった。
たいていが、友人の家か、旅先のユースホステルに泊まっていた。
野宿やキャンプをしようと思ったことはなかった。
お風呂に入ってゆったり寝たい、それは今でも変わらない。
家を出るときはほんの数時間、近場を走って帰ってくる気持ちで出かける。
もちろん、荷物も最低限で、ウエストバッグか軽いデイバッグ。
エンジンスタートしながら、今日はどっちかなと考える。
最初の信号待ちでまた考える。
右か左か直進か。
そういうことを繰り返しているうちに、県境を越えて遠くまで来ていたりする。
スマホどころか携帯電話すら無かったし、何かあれば小銭で公衆電話を利用していた。
あ、ごめん、いまからお邪魔してもいいですか?
バイクなんだけど・・・
そんな感じで隣県の友人には散々お世話になった。
バイクを降りてから

バイクを降り、何年たっただろう。
歳をとるほどに守りに入った。
事前に宿を決めておかないと落ち着いて旅ができない。
何時の電車、バスに乗り、どこへ向かい、どこで観光し、何を食べるか。
予め調べて目星をつけておく。
そんな日々だった。
バイクのある生活に戻って

いままたバイク乗りとして復帰した。
そして、再びこんな気持ちになっている。
行き先など何も決めなくていいじゃないか。
駐車場の路地から走り出て、国道を右に行くか、左に行くか。
その瞬間に決めればいい。 バイク乗りの直感はばかにできない。
気が向かない方へは行かなければいい。
理由もなくどうしても行きたい方向へ行けば何かある。
何も感じないなら、この際、愛車に任せてしまえばいいじゃないか。
おまえの行きたい方へ曲ってごらん、今度はそう言ってみようかな。
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