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シーズン2第10章:バイクの調子は心の状態

バイクの調子は心の状態 バイク女子

信号発進時うっかりエンスト。

コンビニから公道に出る時にギアが不適正で空ぶかし。などなど。

何で?

と思うヘボミスがやたら多い時がある。

バイク向いてないんじゃない?あたし。と、ヘコむ。

かと思うとそんなミスがほとんど無く、不思議なほど好調に走り続けられる時もある。

何が違うのだろう。


バイクの調子は心の状態

バイクの調子は心の状態

直近の走りで言うと、過去一快調な走りが2度続いた。

ここのところ、ずっと心配事が続き、不安感と動揺に苛まれていた。なのに、バイクでの走りが乱れることはなく、むしろ快調に走り続ける事ができた。

なぜだろう。



生き続けることだけに、意識を向ける

バイクに跨り、アクセルを開け、道に走り出し、スピードが上がるにつれ、心が凪いでくる。

焦るどころか、だんだん冷静になっていくような気さえする。

何だろう、この現象は。

オートバイに乗ることは危険と隣り合わせだから、命に関わることにのみ集中するのだろうか。

オートバイで走ること、それは無事に行って帰ること。

大事なのはそれだけだ。



生きることのみに意識がシフトすると、それ以外のことはどうでもいいことになるのかな。




意識して操作してる間は、まだまだ

意識して操作してる間は、まだまだ


しかしである、ヘボミスが続く時は何が違うのだろう。気が散っているのだろうか、余計なことを考えているのだろうか。

上手く運転できるか意識しすぎて、逆にぎこちなくなってしまうのか。そういえば、快調な走りの時、バイクの細かい操作のことは意識していないかもしれない。

意識がバイクに集中しているというより、頭の何処かに心配事が消えずにあって、バイクの細かい操作に意識が行っていないのかもしれない。

無意識に身体が動いている?


バイクに慣れてきて、基本的な部分が無意識に操作できているため、かえってスムーズに運転出来ているのか?

それかもしれない。


バイクの調子は心の状態

バイクの調子は心の状態

走りの不調、好調は、バイク自体の不調の場合もあるけれど、乗り手の心の状態次第である面が強いのではと思えてくる。全集中でもなく、意識散漫でもなく、バランスとでも言おうか。




五感でバイクの状態を感じながら、自分とバイクを取り巻く風景や状況を観じながら、意識の一部は自分の内面を漂っている。それらすべてのバランスが整っているとき、もしかしたら、理想的に快調な走りが出来るのではないか。




ライダーは、道をただ走っているだけに見えても、かなり高度な事を全身で行っているのだ。

すべてのバランスが整ったとき、こう感じるに違いない。

ああ、風が気持ちいい



走り続けるこが、生き続けること

走り続けるこが、生き続けること

だからこそ、ライダーはバカと言われ、自らもバカと自覚しながらも、ただただ走り続けるのだろう。

全身に備わったあらゆる能力を使いこなすことで、身体が喜んでいるのかもしれない。



身体に備わった能力は、使わないと衰えてくるから。

全ての能力をバランスよ使いこなすこと、それは生かされている事への感謝と喜びでもある。

だから、ライダーは、走らずにはいられないのだろう。

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