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第20章:彼女がバイクを降りたほんとうの理由【旅はまだ終わらない】

バイクを降りた理由 バイク女子

おおよそ25年前、私は最後の愛車YAMAHA TT-250をあっけなく手放した。


パート先の同僚の旦那が乗りたがっていると言うから、あげますと言った。

1年後、返すと言ってきたが断った。

その頃の私には、バイクへの未練も、情熱も、生活のゆとりも無かったから。



著者プロフィール

名前:みどりのシカ

女性だけどバイクに魅せられた。20歳で初めて自転車に乗れるようになり、その2年後に中型二輪免許取得。きっかけは片岡義男「幸せは白いTシャツ」と三好礼子氏との出会い。

20代の頃、ほぼ毎日オートバイに乗っていました。遠くは四国、沖縄まで旅をしました。わけあってオートバイを手放してから、かなりの年月が経過。
けれど幸運なことに、いきなりバイク復帰しました。25年ぶりの相棒は、KAWASAKI 250TR。愛称をティーダと名付けました。ただいま、自分慣らし中です。



2度の事故

彼女がバイクを降りたほんとうの理由 2度の事故

手放すまでの1年間に、私は2度の事故を経験した。


タクシーが右車線から

その夜、願掛けのため20時前にどうしても観音崎に着きたくて、車の列が続く16号線の路肩を飛ばしていた。

田浦あたりのラーメン屋の前。路駐の車をやり過ごした直後、タクシーが右車線から被さってきた。

つまり、二車線めから左折してきたわけだ。タクシーの左腹に私のバイクはもろに激突。

オフ車なのでサスが利き、大げさに飛んだ。路上に起き上がった時には、TT-250は離れた場所に倒れていた。

タクシードライバーは中年の女性だった。こちらもまた、微妙な年齢のバイク女子。いや、女子というにはもうかなりの年齢に達していた。



なんともみっともない現場に思えたが、私は黙っていなかった。自分の非を認めてはいけないと、同じくバイクに乗る友人に教わっていたからだ。

警察と相手側の保険会社の担当がやってきて、検証途中で私は救急車に乗せられ病院へ。足の指から血が滲んでいた。頭のCTスキャンも希望したが、異常は無かった。

深夜だから、保険会社の担当が家まで送ってくれた。その後、相手方保険会社とのやり取りで、補償10割で話がついた。ランチまでご馳走になった。


ガード下の信号待ちにて

ガード下の信号待ちにて

その半年後、横浜の街のガード下で信号待ちの車の左側を先頭に出ようと徐行。

途中、右側の車が急にドアを開けて、車内から人が出てきそうになった。通り過ぎる瞬間だったので、ドアに激突。


その車のウインカーは出ておらず、左に寄ってもいなかった。

ドラマに出てきそうな強面の警官が10人くらい大げさにやってきて、検証。私は、やはり黙っておらず、状況を主張すると、一人の警官に諌められた。

「いま検証してるから、黙ってなさい!」

特に転倒もしなかったので、救急車は呼ばれず、近くの病院に一人で歩いて行った。



またまた相手側保険会社とのやり取りが始まった。

警官の検証により、私のバイクが路肩の白線の外側、つまり走行車線内を走行していた事、相手の車が左に寄っておらず、しかも信号手前何メートルとかで相手の否が認められ、再び10割補償で話がついた。



2度ともオフ車の頑丈さが発揮され、多少の修理点検で済んだ。もちろん、頑丈な私の身体も軽傷で済んだ。

しかし、新車購入から10年ほどが経過しており、小まめなメンテナンスもせず、チョイ乗りしては放置を繰り返していたため、バイクは良好な状態とはいえなかった。





彼女がバイクを降りたほんとうの理由

そして彼女はバイクを降りた

事故続きで自信もなくした。

なにより変色して傷む一方のバイクを維持していこうとする強い意志が無かった。

遠くは四国、東北各地へはたくさんの旅を共にしてきたバイクだったが、もはや未練もなかった。


もういいや

もういいや

生活が重くのしかかり、夢も希望も失っていく一方、そんな時期だった。

同時に、報われない恋愛が終わりを迎えた頃でもあった。



もう一つの大きな理由は、道路事情だ。

故郷の道は、20~30分も走れば交通量も落ち着き、行きたいところへ向かうのも帰るのも容易だった。

しかし、首都圏はそうはいかない。行きたい場所へ行くには、渋滞、ひたすら続く用事の無い街並みを、けっこう長い時間走り通さなければならない。


田舎育ちの私には、それが苦痛でたまらなかった。

行きはまだいい、楽しみで仕方ない気持ちで走り抜けるから。

帰りは疲れた身体で、渋滞をただただ我慢しなければならないことが多い。

それを苦痛でしかないと思うようになった。



歳をとったということなのか。

バイクに対する情熱よりも、もういいやという気持ちが勝ってしまったようだ。



旅はまだ終わらない

旅はまだ終わらない

バイクを手放してから、長い長い、死んだように生きる日々が続いた。

特にバイクを手放したことを後悔しなかったし、もう一度買って乗ろうという思いも特に浮かばなかった。



しかし、それでバイクとの縁がきっぱり切れたわけではなかった。



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