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第12章:そして彼女は途方に暮れた【宮城県川崎町の林道にて】

彼女は立ち尽くした バイク女子

バイクは自由の象徴と言われるけれど、実際は不自由な乗り物だ。

雨の冷たさにも、夏の灼熱にも、耐えるしかない。

自立すら出来ないし、滑れば呆気なくコケる。


だけどそれら全てを飲み込んで、『バイクは自由だ』

そう言えるのが、バイク乗りなのかもしれない。

私にも、それが解る出来事があった。


著者プロフィール

名前:みどりのシカ

女性だけどバイクに魅せられた。20歳で初めて自転車に乗れるようになり、その2年後に中型二輪免許取得。きっかけは片岡義男「幸せは白いTシャツ」と三好礼子氏との出会い。

20代の頃、ほぼ毎日オートバイに乗っていました。遠くは四国、沖縄まで旅をしました。わけあってオートバイを手放してから、かなりの年月が経過。
けれど幸運なことに、いきなりバイク復帰しました。25年ぶりの相棒は、KAWASAKI 250TR。愛称をティーダと名付けました。ただいま、自分慣らし中です。




オフロードバイクが好きな訳じゃ無かった

オフロードバイクが好きな訳じゃ無かった

あの頃、オフロードバイク(オフ車)はダサいと言われていた。

ツーリング中に見かけるのは、フルカウルレーサー、ネイキッドなどオンロードバイクばかり。

峠道には多くの若者が集まり、ヒザを擦りながら走る姿が見られた。



そんな時代に私はバイクに興味を持ったのだ。

ハーレーやKawasakiに乗りたかった

私がバイクに乗ろうと思ったのは、三好礼子さんに憧れて。

彼女のように髪をたなびかせながら、颯爽とハーレーやKawasakiに乗りたかった。

思うがままに、行きたい場所へ行く自由を手に入れたかった。

もともと私は、オフ車や林道が好きだったわけでは無い。

逆にオフ車には、マイナスイメージしかなかった。

足つきが悪くて怖い!、ドロまみれで汚い!




なのに、バイク屋のおやじの一言で、最初のバイクが決まった。

『最初はオフ車で技量を磨かなきゃ』



初心だった私は従うしかなかった。

こうして、私は人生1台目のバイクとしてDT200を迎えた。

ダート走行に慣れることで、いつしか大型バイクを華麗に運転できる技量が身に着くと信じて。


意外とオフ車も悪くない

意外とオフ車も悪くない

しかし、いざオフ車に乗ってみると意外と気に入った。

軽くて扱いやすく、パワーもソコソコなので危険なスピードにもなり難い。


オンロードだけでは無く、オフロードにも足を踏み入れるようになるのに、そう時間は掛からなかった。

自然を身近に感じられる林道は魅力的で、ついつい脇道に逸れてみたくなる。

そこにはバイクに乗らなければ出会わなかったはずの、美しい景色が待っていた。

エンジンを止めて景色の中に身を置いていると、ささくれた心が癒えるのが感じられた。


河川敷で立ち往生

河川敷で立ち往生

その日も練習すべく、河川敷をめちゃくちゃに自己流で走りまくっていた。

ぬかるみにタイヤがはまり込み、支えていなくてもバイクは立ったまま。

押しても引いても抜け出せなくなってしまった。

諦めてバイクを置いて電話ボックスを探しに行こうとした時、声がした。

バードウォッチングをしていた男性が、私に気づき助けに来てくれたのだ。

「助けて下さるのですか?・・・」


彼のおかげで、私は無事、家に帰ることができた。

後から思えば、この成功体験がいけなかったのかもしれない。


そして彼女は途方に暮れた【宮城県川崎町の林道にて】

そして彼女は途方に暮れた

しばらくしたある日、私は宮城県の川崎町か村田町あたりの長閑な県道を走っていた。

その日もふと気になった脇道へ、いつものように衝動的に入り込んだ。

ゆっくりどんどん奥へと進んだ。

心の赴くままに曲がってはみたものの、道はどんどん狭くなる。

草に覆われ、獣道になって初めて気づくのだ。

この先に人が通れる道は無い。




行けるところまで行ってみよう

行けるところまで行ってみよう

それでも、単純バカだった私は、先に進む。

なぜなら、道は必ずどこかへ通じている、

だからこのまま進めばまた大きな道路に出るはずだ、と信じていたから。

行けるところまで、行ってみよう!



しかし、行けば行くほど道は狭くなり、交通の痕跡は無くなっていく。

きっとどこかへ繋がっているはずのその道の先には、山また山が連なっているのが見えた。

もうダメだ。さすがの私も諦めた。Uターンだ。



私はUターンが嫌いだ。

元来た道へ戻るには、よほどの決意が必要なのだ。

道は細く、バイクを降りて反対向きにするゆとりもない。

片側は上り斜面、片側は雑木林の下り斜面。



どちらかへバイクを乗り上げるか、押し下げるかしないと反対向きにはならない。

スタンドを利用してくるりと回転させるという知恵も持っていなかった。



途方に暮れて立ち尽くした

そして彼女は途方に暮れた

何を血迷ったか、私は谷側にバイクの後輪を下ろした。

案の定、バイクは谷側に滑り落ちていこうとする。

慌ててバイクを押し倒した。



何とか1メートルほど滑り落ちたところで止まった。

どうしようか思案に暮れているうちに、日が暮れようとしていた。

携帯電話など無い時代だ。

最後に見た民家まで歩いて行くか、どうしようか。

私は途方に暮れて立ち尽くした。



自由の意味を知った日

自由と責任の意味を知った日

しばらく呆然としていたが、ヒーローは現れない。

自由を求めて自分で選択した行動なのだ。

責任はすべて自分にある。


バイクを引きずり上げようと決めた。

だれにも頼れないのだ。

ひとりで林道へ入り込むということは、そういうことだ。

バイクに乗るというのは、そういうことだ。


火事場の馬鹿力とでも言うのだろうか。

奇跡的に、元の獣道へ引きずり上げることができた。

四苦八苦して、なんとかバイクの向きを変えた。



熊に注意と書いた看板に怯えながら、真っ暗になった林道を恐る恐る引き返した。

無限にも思える時間がたった後、やっとの思いで山里の舗装路に出た。

安堵感でやっと感情が戻ってきたのか、その時になって涙があふれてきたのを覚えている。


そして私はバイク乗りになった

そして私はバイク乗りになった

そんな体験をしたのにも関わらず、懲りずに林道に分け入ることを止められなかった。

どこにでも行ける自由を手放したくはなかったからだ。


時には昼過ぎに出発して、山形県の知らない林道に入り込んで道に迷ったこともあった。

走っても走っても舗装した公道に出ることが出来ない日もあった。


そうこうしている内に

成るようにしか成らないと、昼寝してしまう図太さも身に付いた。

トイレが我慢できず、深い側溝に入り込んでしたり、バイクの影でしたこともあったかもしれない。


私は、バイク乗りになろうとしていた。



『ケガと弁当は自分持ち』

『ケガと弁当は自分持ち』

バイクは自由だ。

車では行けない狭路も、歩いてはいけない遠方も、バイクなら自由に行くことが出来る。




だけど、危険もある。

道に迷うこともあるし、コケることもある。

何でもありの自由は、ただの混沌でしかない。

危険な目に合っても、自分で責任を取る覚悟があっての自由なのだ。

弁当を持って来ず、他人に頼るような真似は出来ない。


それが、バイクに乗るということだと知った。





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