私はバイク漬けの毎日を送っていた。
毎日バイクに乗っていたし、バイトでバイク便もやっていた。
なぜって、限りなく三好礼子に近いバイク乗りになりたかったから。
彼氏が出来たのもその頃だ。彼は後に夫となり、その後に元夫となった。
車の免許もバイクの免許も持っていない人だった。
けれど、私はのりにのっていたから、そんな彼を気遣うこともなく、憧れの四国一周ソロツーリングを決行した。
念願の四国一周ツーリングだったけれど、今となれば四国の記憶はほとんど残ってない。
けれど道中の滋賀県で知り合った、あんぽんたんなバイク乗りのことは、今でも鮮明に覚えている。
著者プロフィール
名前:みどりのシカ
女性だけどバイクに魅せられた。20歳で初めて自転車に乗れるようになり、その2年後に中型二輪免許取得。きっかけは片岡義男「幸せは白いTシャツ」と三好礼子氏との出会い。
20代の頃、ほぼ毎日オートバイに乗っていました。遠くは四国、沖縄まで旅をしました。わけあってオートバイを手放してから、かなりの年月が経過。
けれど幸運なことに、いきなりバイク復帰しました。25年ぶりの相棒は、KAWASAKI 250TR。愛称をティーダと名付けました。ただいま、自分慣らし中です。
東北道・中山道を通り、滋賀県に
四国までは自走していくことに決めていた。
高速道路を東北道・中山道と乗り継ぎ、関ケ原から関西に入る。
その後、京都と大阪を駆け抜けて、岡山の宇野港から四国に入るルートだ。
途中の琵琶湖畔には彼の実家がある。先回りした彼が待っている実家に遊びに行こうとも計画していた。
スマホナビなんて無い時代だから、ざっくりしたルートだけ決めて、私は出発した。
高速道路をひた走る
その頃乗っていたTT250は、車高が高くて足の位置が楽だし、一台前のセローよりずっと馬力があった。
だから高速道路での移動は楽なはずだった。
でも250ccオフロードバイクで高速道路を走り続けるのは、予想以上に疲れるものだった。
高回転で回るエンジンの振動で
- ミラーとハンドルはブレブレ
- 後方が見えないどころか、腕がすぐに上がってしまう
だから、頻繁にパーキングエリアに立ち寄り休憩を取ることになり、ペースは上がらなかった。
せっかく高いお金を払って高速道路に乗っても、所要時間は一般道を走るのと大差ないものだった。
おまけに楽な乗車姿勢は、真正面からの風をまともに受けることになり、高速では辛い辛い。
オフロード用フルフェイスの長いひさしは風で上に押し上げられ、何度もハンドルから手を放してヘルメットの位置を直さなければならなかった。
さらにオフロードバイクの軽い車体は、横風にも弱い。あおられて進路を曲げられ、走りにくいったらない。
でも、中止して引き返そうとは全く考えなかった。
バイク乗りの挨拶、ヤエー
あたふたして走っていると「頑張れー」と叫びながらこぶしを突き上げ、パーキングエリアで挨拶したライダーが追い抜いていく。
当時のライダーたちは、旅装束さえしていれば、たいていピースサインというものを交わすか、そのライダーのようにこぶしを突き上げるようにわかりやすいサインを送ってくれた。
当時は気軽に気持ちよく挨拶を交わすライダーが多かった。
とは言っても、簡単に友達ができるわけではなかったから、私は終始ソロライダーのままだった。
それは、個人的な問題で、いつも心が閉じていたからでもあるけれど。
バイク乗りからの声援に支えられながら、私は走り続けた。
彼女は、滋賀県のバイク乗りに言った
東北道を走破し、東京から中山道へ向かった。
いくつもの峠を越えて、何とか関ヶ原から関西入りすることができた。
琵琶湖へ到達したのは、出発してから3日目のことだった。
明日の彼の実家訪問に備え、琵琶湖大橋を渡った対岸に宿を取ってある。
もう一息だ。
琵琶湖大橋を渡る料金所で、地元滋賀県ののライダーに声をかけられた。
お、ナンパか?と思ったけれど、私のバイクの他県ナンバーに興味を持ったらしく
「遠くから来たんやなぁ、お茶でもせーへん?」
と誘われた。
まず、宿まで先導してくれて、宿の中のカフェでお茶することになった。
バイクをとめ、ヘルメットを脱いで改めて挨拶を交わす。
「どうも」
と言った私の顔をまじまじと見て、地元のライダーは言った。
「なんや!女の子やったんか?!」
声を聞くまで、気づかなかったらしい。
ヘルメットをとって顔を見ても、ロン毛の男子だと思っていたと言っていた。
心の中で私は呟いた。この、あんぽんたん!
しかし、気持ちよくご馳走にはなった。ただでは転ばないのが、ロングツーリストの鉄則だ。
もちろん、連絡先の交換も、いつかまた会いましょうという曖昧な社交辞令もしない。
彼氏との再会と、これからの旅を祝福してもらって 、その場限りで気持ちよく別れた。
京都・大阪・岡山を通り、四国へ
翌日、同じセリフを聞かなくて済むように私なりに身なりを整えてから、彼の実家にお邪魔した。
緊張のためか時間が過ぎるのが早く、気が付くと四国への出発時間をオーバーしていた。
彼の見送りを断り、大急ぎで京都と大阪を駆け抜けて、岡山の宇野港を目指した。
迷いに迷い、ぎりぎりセーフで宇高航路の最終便に間に合った。
フェリーに乗り込み振り返ると、日は沈み始めていた。
四国一周
フェリーが高松に着いた時には、もう真っ暗だった。
高松の街の真っ暗な道を恐るおそる走り、下船後に予約したユースホステルへ向かった。
家を出てから3泊4日、やっと四国にたどり着いたのだ。
その後も幾多の困難を乗り越えつつ四国を一周した。
四国での出来事も印象的だったが、それはまた別の話。
四国を満喫した後、帰りは名古屋経由で高速道路を利用して家路を急いだ。
東北道に入り見慣れた風景が近づくにつれ、安ど感に包まれていくのがわかった。
こうして四国一周のロングツーリングは終わった。
当時の記憶は曖昧だけれど
滋賀県のバイク乗りのひと言は、今でも記憶にはっきりと残っている。
あんぽんたんめ。
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