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第2章:「じゃまだからいらない」と彼女は言った

Chapter 2 Parents バイク女子

一冊の本に巡り合い、私にはバイクが必要なのだと知った。

その後の行動は早かった。誰にも相談せず免許を取り、バイクを買った。

実家に住んでいたけど、誰にも相談せず、事後報告で済ました。



私はいつも両親に反抗していたので、報告しても返ってくる言葉は何も無かった。

ただ、暗くて悲し気な視線だけを感じてた。

そんな当時のことを振り返ってみよう。

著者プロフィール

名前:みどりのシカ

女性だけどバイクに魅せられた。20歳で初めて自転車に乗れるようになり、その2年後に中型二輪免許取得。きっかけは片岡義男「幸せは白いTシャツ」と三好礼子氏との出会い。

20代の頃、ほぼ毎日オートバイに乗っていました。遠くは四国、沖縄まで旅をしました。

わけあってオートバイを手放してから、かなりの年月が経過。また乗りたい気持ちを抱えてジタバタしています。


フウテンのトラ子

フウテンのトラ子

私は何者でも無い自分に苛立ち、周囲を傷つけてばかりいた。母とも必要最低限のコミュニケーションしか取っていなかった。

バイクを買ったことを事後報告した時、母は反応できないほど困惑していた。そして家にやって来たバイクを見て、うろたえていた。

けれど念願のバイクを手に入れた私は、走るのに夢中で心配する母の姿を気に留めなかった。



「ちょっと行ってくる」

それだけ言ってツーリングに出かけ、帰るのは夜中。

数日、帰らなかったりもした。

そんな日々が続いたある日、母は言った。

「フウテンのトラ子だね」


いつの頃からかヘルメットを持って家を出ようとする私に、母は大きなおむすびを1つ持たせるようになった。

じゃまだからいらない、積むとこ無いし

そう冷たく言い放つ私に、それでも母は無理やりおむすびを持たせるのだった。



バイクで走り疲れると、国道沿いの縁石に座り込んで休んだ。そしてウエストバッグの中でつぶれたおむすびを頬張った。

それは、とてもとても美味しくて、母に冷たい言葉を放った自分を顧みて涙が滲んでくるのだった。

胸の奥が痛んだけれど、私は自分のことで精一杯だった。



「修理できないの?いくらかかるの?」と母は言った

「修理できないの?いくらかかるの?」と母は言った

それから何年後かに、私は結婚を機に実家を離れた。

けれど、長くは続かなかった。

DVと経済的な困窮という結婚生活の末に離婚。

その後、2度の事故もあり経済的な事情からバイクを手放すしかなかった。

母に私は言った。

「バイク手放すことにした」



「そうだね、もういい年だし、危ないからやめたほうがいいね」

私はてっきり、母はこう言うと思っていた。

しかし、母はあまりにも意外なことをあっさりと言ったのだ。

「修理できないの?いくらかかるの?」



何と答えたのか記憶にない。

あまりにも意外なことを言われ、その言葉だけが頭の中で鳴り響いていた。

誰よりも私を理解していたのは、母だった。

バイクに乗ってる私は生き生きとしていた。そのことを誰よりも見ていたのは母だった。




「バイクって、気持ちいいんだろうな・・」と父は言った

「バイクって、気持ちいいんだろうな・・」と父は言った

父は元教師だった。

赤ちゃんから幼児の頃まで、私は溺愛されていたらしい。

だけど、ちょっと変わった娘を理解することは困難だったようだ。いつしか私は父への反感を募らせ、父とは口を利かなくなった。

神経質で頑固で病弱で、病院通いが絶えなかった父。



ある日、バイクを道に出そうとしている私の近くに父がいた。私は目も合わせず、もちろん無言だ。

そんな私に、父はポツリと言った。

バイクって、気持ちいいんだろうな・・・

私は内心うろたえた。何言ってんだこのオヤジ。

泣きそうになるのをこらえてバイクを道に押し出し、エンジンをかけた。



しばらく経ったある日、ヘルメットを持って部屋を出ると、トイレに入ろうとしていた父と一瞬だけ目が合った。もちろん、挨拶なんてしない。お互いに。

何も言わずに私はバイクに乗り込み、アクセル全開で国道4号線バイパスをひたすら南下した。

何故か、ふと東側の路地に曲がりたくなった。スピードを落として路地を進んでいくと、一本の煙突が見えた。

何か嫌な感じ。

何かを感じ、そこからUターンして家に帰ることにした。

帰宅するとバイクを降りる間もなく叔母が慌てた様子で駆け寄り、大声で言った。

「どこに行ってたの!お父さんが亡くなったんだよ」


最後に父に会ったのは私だった。

それから何週間か、罪悪感で泣き暮らした。


理解してなかったのは私だった

理解してなかったのは私だった
  • 自分が何者か分からず、苛立っていた私
  • 就職に失敗し、自分の居場所を見失った私
  • 一冊の本から、バイクと出会い救われた私
  • 結婚に失敗してしまった私

そんな私の傍らにいつも居てくれたのは両親だった。

いつも私を見守っていてくれた

私のことを何も理解してないと思っていたけれど、理解してなかったのは私だった。



父にしても母にしても、自由に生きられない、そんな人生を生きていたのかもしれない。

私が自分らしく自由に生きようと藻掻くのを、我が事として見守ってくれてたのだ。

そう思えるようになったのは、つい最近のことだ。


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