世の男性はバイクに乗っている女性には、女の子らしさを求めてしまうものなのか。
たとえ、黒サングラスでいかり肩でバイクを走らせていても。
たとえ、おばあさんでも。
たとえ、勇ましい外見でも。
中身は女の子、そう信じたいのかもしれない。
男性の夢なのだろうか。

とうとう自分のバイクを所有して、乗りたい時に乗れるようになった 長年漠然と抱えてきた思いが、実現したのだ
シーズン2は、より遠くへ行くことよりも、無理なく少しずつ カッコつけではなく、ゆっくり確実丁寧に走ることを大切にしよう
みどりのシカ
バイクと涙

しかしである。
私の生きざまから、見た目から、滲み出る雰囲気はどうなのか。
男性的とまではいかなくとも、女性らしさはほとんど無いのではと自覚する。
いうなれば、性別不詳。中性的というのが一番当てはまるかもしれない。
それはなにも私に限ったことではなく、男性も女性もみんな、どちらの要素も持ち合わせているものだと思う。
たぶん、バランスの違いだ。
で、何を言いたいかといえば、涙である。
バイク復帰した日、涙は出なかった

バイク復帰した日、つまり愛車となるバイクを迎えに行き、初めて乗った日に、感極まって私が泣いただろうと、とあるSNSのフォロワーさんは思っていたらしい。
結果からいえば、泣くどころではなかった。
バイク乗りならわかるはず。なのだけど。
大人のバイクスクール、レンタルバイク、約3年で4回バイクに乗った。
とはいえ、ブランクは約25年。
シフトチェンジどころかウインカーの点け方すら心許ない。
レンタル2回目には、セルの存在すら覚えておらず、エンジンスタートができなくて、スタッフを呼んできたほどだ。
ちなみに、バイク女子時代にはキックしか付いていないバイクしか乗ったことがない。
セル?何それ?なのだ。
カーブ、交差点を曲がる事を考えただけでも、あぶら汗がドバーっと出る。
帰宅前にバイクショップの周りを走って慣らすのが、そのバイクショップの慣例とのこと。
左折だけで回れるのは良いが、鋭角&坂道という箇所もあり。
いつ転倒するかと、ハラハラドキドキ。
緊張と不安、これから走るルート、今後の支払いもチラリと頭の奥で疼く。
エンスト、立ち転け、転倒、それらのイメージも脳裏に浮かぶ。
残念ながら、バイク復帰1日目は、そんな感じで、なんとか無事バイク置き場に辿りつけたことだけに感動したのだった。
こうして、ほぼ強硬手段でバイクライフ復帰を遂げた。
バイクから見る風景、涙が自然に

で、やっと、泣けた日の話。
あんまり泣いてない。というか、まあ、覚えていない。
走行に慣れた頃、車のいない田舎道、あるいは海沿いの道を走っているとき。
陽光と風がたまらなく気持ちが良かった瞬間。
ああ、なんて気持ちがいいんだろう、またバイクに乗れて、本当に良かった。
そう思ったときに、ホロリと一粒涙がこぼれて風に流されていったような気がする。
その他にも何度かあったかもしれないが、だいたいが走ることの気持ち良さ、風景の素晴らしさにふと心を動かされて、泣けた、そんな感じだったと思う。
何か特別な感情ではなく、バイクに乗れば当たり前に感じることができる風の気持ち良さとか。たぶん、そんなささやかなことで泣けたのだ。
ささやかとは言っても、それはバイクに乗らなければ感じることの出来ない、特別な瞬間なのだが。
バイク教習所、涙の日々
過去を振り返ると、バイクに乗って初めて泣いたのは、もちろん教習所に違いない。
何もかも上手くいかなかった日。
コケて痛い目にあった日。
教官に怒鳴られた日。
その教官たちの、バイクへの情熱、死ぬなよとのひとことで、教え子の無事を願う気持ちを知った日。
教習所では、何度も何度も泣いたはず。そして、めでたく卒業の日の嬉し泣き。
バイク乗りになった日、涙があふれた

バイクライフが始まってから泣いたのは、たまたま同時期に中型免許を取得した高校の同級生とツーリングした日だった。
いまでも時々訪れる奥松島の野蒜海岸へ行った。
奥松島へ向かうまっすぐなアップダウンの道を走っていると、対向車線を走ってきた2台のバイクとすれ違った。
その時初めてVサインをもらい、慌てて左手を上げた。
そして、ポロポロと涙がこぼれ、頬から耳の下を濡らして飛んでいった。
バイクってなんて素晴らしいんだろう。
その時の記憶は、今でも忘れていない。
全く知らない、2度と会うこともないであろう、顔すら見えない他人同士。
それが、一瞬のVサインでだけ意思を通わせる。
そこには、様々なメッセージが込められている。
やあ!
こんにちは!
良い旅を!
ご安全に!
楽しんで!
イケてるね!
そんな素晴らしい人との接点が持てるのも、バイクの良さだ。
バイクに乗らなければ知ることもなかった体験、感動。
それは、風や風景に限らない。
併せて読みたい