バイクに乗るきっかけになったのが、片岡義男のバイク小説だった。かなりディープな読者だった私だが、意外に物語の舞台になった場所には疎かった。
20年ほど前、四国へ行きたいと思ったのは「彼のオートバイ彼女の島」の大好きなワンシーンのロケ地があると知ったから。
しかし、ネットのない時代だから、情報の真意はわからない。
ミーヨとコオが2台のオートバイで走るシーン。Y字路を二手に分かれて走り、また合流するシーンだ。何度見ても、理由なく涙が出る。
あのシーンがたまらなく好きだった。その場所へ行ってみようと決めたのだ。
著者プロフィール
名前:みどりのシカ
女性だけどバイクに魅せられた。20歳で初めて自転車に乗れるようになり、その2年後に中型二輪免許取得。きっかけは片岡義男「幸せは白いTシャツ」と三好礼子氏との出会い。
20代の頃、ほぼ毎日オートバイに乗っていました。遠くは四国、沖縄まで旅をしました。わけあってオートバイを手放してから、かなりの年月が経過。
けれど幸運なことに、いきなりバイク復帰しました。25年ぶりの相棒は、KAWASAKI 250TR。愛称をティーダと名付けました。ただいま、自分慣らし中です。
四国ツーリングは土佐いも天の味【国道439号を超えて】
当時住んでいた仙台から四国の真ん中へんあたりまでの距離は、東北道、東海道経由で1,118kmと出る。
わけあって仙台~東京をトイレ休憩だけで下道を走り通したことはあるが、基本的に長距離を一気に走る趣味は無かった。だから、途中、要所要所で宿泊しながら四国へ向かった。
1泊目は東京の伯母の家、2泊目は木曽のユースホステル、3泊目は琵琶湖畔のユースホステル、4泊目は真夜中到着で高松港近くのユースホステル。
滋賀県では、前述の通り、当時交際中だった元夫に会うために立ち寄った。
当時はまだ本州と四国は橋で繋がっていなかったから、岡山県玉野市の宇野港と香川県高松市の高松港を結ぶ宇高航路で四国へ渡った。
滋賀から岡山が思った以上に遠く、最終の船便にやっと間に合ったが、高松のユースホステルに着いたのは深夜だった。
土佐いも天ぷらと中玉トマト
そこからどの道を走り、どういう旅をし、どういう風景に心を動かされたのか、ほとんど記憶に残っていない。
それはなぜなのかわからない。ただただ、毎日ぐずついた天気で、雨降りの日も多く重い気持ちで走り続けていたからかもしれない。
心に記憶されている思い出と言えば、小雨降る海岸の岸壁で食べた、高知の街の市で買った土佐いも天ぷらと中玉トマトが感動的に美味しかったこと。
外の屋台でたっぷりの油で天ぷらを揚げて売っていた。それは、東北育ちの私にはとても衝撃だった。
夕飯に買った田舎寿司も、甘酸っぱい初めての味と見た目にびっくりした。それはそれでとても美味しかった。
国道439号を超えて
酷道439号を知らずに走って、あまりの辛さに何度もくじけそうになった。クラッチレバーを握る手が麻痺してしまい、カーブの外につっこみそうになったことが何度もあった。
行けども行けども小さなカーブとアップダウンがひたすら続く。民家のある集落もほとんど無く。
あ、村だ、やっと普通の道になる・・・と思うのもつかの間、またひと気の無い森の中を、小さなカーブとアップダウンがひたすら続く。
生きて宿にたどり着けるのだろうか、そんな思いもよぎっては消える。
緊張と肉体的、精神的な疲労で、ほぼ頭の中が無になった頃、あの世に来たかと思う桃源郷にたどりついた。
祖谷のお寺のユースホステルにヘロヘロになって到着すると、ヨサクを越えてきたのかい?と聞かれた。はい、と私は答えた。
夕食後、ユースホステルのペアレント(当時のユースホステルでは宿の管理者をそう呼んでいた)であるお坊さんから、酷道439号走破の認定書をいただいた。
半泣きで、ポツンと夕飯
その翌日はあまりの好天で気を良くし、ユースの自転車を借りて谷底へケーブルカーで降りていく祖谷温泉へ行った。
行きは下りだから楽に行けたが、帰りの坂道が昇れず、日は暮れて、食事時間を大幅に過ぎてもどこかわからない集落にいた。
携帯など持っていない時代だったし、そんな山奥には電話ボックスさえ無い。民家に飛び込んで電話を借りて、ユースに連絡した。
無事帰って、遅い時間に半泣きになりがらひとりポツンと夕飯を食べた。
空海の御厨人窟(みくろど)へ行って、蚊にくわれて最悪だった後の記憶が無い。
ルートから考えると高知県から愛媛県の海沿いを走ったはずなのだが。佐多岬は疲れてパスしたような気もする。
何しろ趣味でもあった写真がほとんど残っていない。当時続けていた日記も、四国ツーリング中は書いていなかったらしい。
だから、頭の中にかすかに残っている思い出は、以上のようなものしか無いのだ。
旅はまだ終わらない
四国の帰り道は最短ルートを選んだ。寄り道や観光をせず、ひたすら帰るための道程。たぶん、高速道路を使ったと思われる。
名古屋で一泊、東京で一泊した。その時の思い出もほとんど記憶にない。
とにかく遠く、道は混んでいて、風景は工場の煙やビル群がひたすら続く退屈で緊張する道だった。
いつものことではあったが、郡山あたりに来るとどっと疲れが出る。財布の中には小銭が少し残るのみ。あと100キロ超。そこが一番つらい。
あと数十キロで自宅というところまでくると、あと100キロは走れそうな気になるから不思議なものだ。
まだ旅を続けていたい、そんな気持ちと共に。
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