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第28章:ひとりでドアを開けて ひとりで書類書いて

一人でドアを開けて バイク女子


その時、何かを、私は捨てた。

そう、誰かに頼ろうとする甘えを捨てたのだ。

それでこそ、バイク乗りにふさわしい。

そうでなければ、バイクなど乗りこなせない。

そうでなければ、たった一人で、この地球を相手に道の上を走るオートバイ乗りとは言えないだろう。



ひとりでドアを開けて ひとりで書類書いて

出会い系を利用してバイク探しをした後、出会い系に失望し、バイク探しにも限界を感じた私は、本気になった。

自転車でさらに遠くへ、バスや地下鉄を利用してさらに遠くの中古バイクショップへ行ってみることにした。

グーバイクで目星をつけたバイクを、実際に見に行った。

予算的に第一候補となったST250、何かが何だか違う、却下。


見た目が好みのエストレヤ、色が好みではなかったし、バイク店の中で見るとやけに大きく見える。跨った感じもしっくりこない、保留。


どこのショップでも、エリートバイクのセローがこちらを見ている。やはり、セローが無難なのか。しかし、決断には至らない。

これだ!というバイクが見つからない反面、バイクショップ巡りが楽しくなってきた。


250TR 出会ってしまった

250TR 出会ってしまった

5月某日

SNSのフォロワーさんに勧められた、おじさんマークのバイクチェーン店に何気なく行ってみた。

地下鉄駅から歩いて向かったそのショップに、爽やかなスカイブルーの250TRがあった。

あ、いた!



そう思った瞬間、買いだ!と、私は思った。

どこから見ても、好ましく見えた。ちょうどいい、そんなふうにも思えた。そして綺麗なスタイルだった。

右から左からじろじろ見まわして、売り場を一周まわって戻ってガン見。

ショップのお兄さんはとても気さくだった。お願いする前に、バイクを引き出して、跨らせてくれた。エンジンもかけてもらった。




しかし、お兄さんはその後あっさり他の接客に行ってしまった。

もう1日考えようと、その日は帰る事にした。

やはり買うべきだと心が決まり、翌日職場から電話したら、あの日、速攻売れてしまったと言われた。

逃したことでひとつの決意が生まれた。






250TR いずこに

諦めきれず、同系列の2店舗目に行った。その日は雨。バスに乗って行った。

入ったばかりのブラックの同車種があった。キャブレターだった。

色とキャブレターが希望と異なるので、却下。

そのショップで驚いたのが、スタッフのお兄さんが私を覚えていたことだ。

探していたバイクの車種も色も覚えていた。

ちょうど1年前に、出会い系で知り合った人に連れて行ってもらった時のことをしっかり記憶していたのだ。


根拠もなく胡散臭く思っていた大手中古バイクチェーン店は、想定外に良いショップだった。

気を良くした私は、興味本位で3店舗目へと向かう。




250TR 2度目の出会い

250TR 2度目の出会い

気持ち良く晴れた日だったので、約7キロの道を自転車で行ってみた。

そこには、250TRは無く、かわりに敏腕のセールスマンがいた。年代も自分に近く、話しやすい。

話をやんわり聞かれ、彼がプリントして持ってきた中に、ちょうど1年前に他のチェーン店で貰ったプリントで一目惚れしたバイクがあった。



少しのあいだ頭と心で迷い考え、とりあえずローンの審査だけお願いすることにした。

思いもよらぬ副収入があったとはいえ、ほそぼそと続けているパート掛け持ちと、内職を合わせても低所得。まさか、審査が通るとは思わなかった。



1店舗目でブルーのバイクを逃した思いがよぎり、審査の先へと話を進めた。

セールスさんは、どんどん話を進める。私はなかば上の空だ。

バイクカバー、盗難保険、チェーンロック、自賠責、任意保険、あれやこれや。

頷きながら、一瞬考えて要らないものにはノーと言いながら、カウンターで様々な書類を書く。

書いている最中、アレも付けますね、これも付けときますか、と思考が乱される。

ふとペンを止めて、聞き返す。



それって、何ですか?いくらですか?

じゃあ要りません

それは、付けて下さい

あと、左右のレバーを1本づつ




そう、私はタチゴケを覚悟していた。

コケても自力で何とかすると、決めていた。

セールスさんの説明があまり頭に入らない。どこか浮いたような気分で書き進む。

ふと、書類の一部に視線が釘付けになる。ローンの総支払い額だ。




何だこの数字は?

ペンが止まる。




販売金額をはるかに超えた数字に愕然とする。

辞めるなら今だ。

もう一人の自分が言っている。

やばい、ともう一人の自分が狼狽えている。

しばらく固まっていたが、プリントされたバイクの写真を見て、またペンが動き出す。とりあえず、頭金はある。きっと、大丈夫だ。

私の決意は、その瞬間に固まったのだ。





門出

2024年6月某日

街の上空には、淀んだ空気を切り裂くブルーインパルスの轟音が気持ちよく響いている。

街のイベントの日だった。

快晴の美しい青空が、私を祝福してくれている。

レンタルバイクのために既に買ってあったヘルメットとジャケットの入った大きなバッグを持ち、デイパックを背負い、バス停でバスを待つ。

初めて乗るバイク、しかも中古で、たった一人。


バイクショップからバイクパーキングまで無事走り通すことができるのだろうか。

その前に、お祓いを受ける山の上の神社まで、時間通り無事たどり着くことができるのだろうか。

大きく膨らむ不安感を払拭するかのごとく、空にはブルーインパルスの轟音が響き渡る。

そしてまた、長年の夢が叶うことへの喜びと期待が、胸の奥からムクムクと盛り上がってくる。



大丈夫

私なら大丈夫

きっと上手くいく




レンタルセローだって乗れた

何十年ぶりの公道だってもう3回も走ったじゃないか

目の前の道路を走り去る様々なバイクを目で追いながら、自分に言い聞かせる。

皆、普通に走っている

バイクなんて、何も特別なものじゃない

慣れれば誰だって乗れるんだ

バスが来た。

ベンチから立ち上がると、急にドキドキしてきた。



そして、彼女は帰って来た

そして、彼女は帰って来た


さあ、始まりだ

もう、後には戻れない




心の中の不安感に反して、私はたぶん笑顔だったに違いない。

あまりにも気持ちの良い、陽光がたっぷり降りそそぐ明るい街の中を、バスは進んでいく。

着いた。

中古バイク大型チェーン店裏通りのバス停。

ドタンバになると肝が座る私は、冷静にショップへ向かい、ドアを開けた。

いつもとは違う、ハイテンションなキャラが出る。

こんにちは~

インパルス飛んでますよ!~



待ち受けていた同年代のセールスさんが、緊張した面持ちで、横に立つ男性を紹介する。

きりりとバッチリ決まったリーゼントの、若き店長だ。

軽く挨拶されて、店長はどこかへ消えた。

浮かれ調子の私に構わず、セールスさんが、淡々と書類を用意して、淡々と様々な説明を続ける。

説明などほとんど頭に入らず、言われるままに書類に記入する。

いよいよ、自分で試運転をしなければいけない。

ショップの周辺をグルグルと回ってくるのが、このショップでバイクを買った人の慣例だという。

なんとかスタートすることができたが、コーナリングがうまくいかない。

バイクの調子は悪くはない。

5周くらいしてショップの前に戻る。


ほど近い丘の上の神社のお祓いの時間が迫っていた。

セールスさんにお世話になったお礼を告げて、いざ出発だ。

頭に入れてきた道程をどうにかたどり、神社の入り口をみつけた。



神社の手前は砂利道。いきなりか。

そろりそろりと、なんとか境内へたどり着く。

お祓いの場所まで押し歩き。重くてたまらない。うまく押して歩けない。

何もかにも、まだしっくりこない。

お祓い、無事終了。


市内中心部を避けて、バイパス経由で駐車場へ向かう。

レンタルバイクの時に避けて通ったバイパスは、それほど怖くはなかった。

マンションの空きスペースに設けられた貸し駐車場に無事到着。


エンストも無く、良いバイクに当たったと思った。

真新しいカバーをかけ、ヘルメットとブーツを入れたバッグを持ち、坂道をしばらく歩く。途中のお好み焼き屋で一休み。

大きなイベントをやり遂げたという胸いっぱいの思いを抱えて電車に乗り、歩いて帰る。


こうして、再び私のオートバイライフが始まったのだ。

思った以上に、あっけなく。



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