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Season3-5:写真を撮るということ いつもオリンパスOM−1と共に

写真を撮るということ Season 3

小さい頃の自分が写った写真はたくさんあった。

第一子だから、それはもう可愛がられて写真を撮られまくられたに違いない。

写されるだけの私は、小学生になる頃には写されることも嫌いになった。


写真を撮るということ いつもオリンパスOM−1と共に

写真を撮るということ オリンパスOM−1と共に

高校生になるまで写真を撮ることも、カメラにも興味がなかった。

高校入学時、中学校からの仲良し3人組で、同じ部活に入ろうと決めた。

皆、特別やりたい事もあてもなく、何となくカッコいい先輩のいる写真部に入ることになった。

3人ともカメラすら持っていなかった。

スマホどころかガラケーすら無い時代の事。

他の2人はどうしたのか覚えていない。

私の場合は、お年玉とお小遣いを貯めて、皆んなより少し遅れてカメラを購入した記憶がある。



オリンパスOM−1との出会い

オリンパスOM−1との出会い

一人では買いに行けず、当時、反抗していた両親に付き添ってもらい、カメラ店へ買いに行った。

当時は大手家電ショップ等も無かった時代のこと。カメラなど興味もなかったから、欲しい機種もメーカーも分からない。ただ何となく、手ごろな価格とこじんまりした外観、店主の勧めに従って決めた。

当時売り出したばかりの小型軽量一眼レフ。オリンパスOM−1。

そこから、10年以上、どこへ行くにも持ち歩いた愛機となった。



その小ささとシンプルな構造がお気に入りだった。

後々、望遠レンズや広角レンズも購入した。



写真を撮るということ

写真を撮るということ

写真部ではたまに写真の発表会のようなものがあり、それぞれの写真を他校のサークルの部員にも見てもらう。

自分が選んだ写真に様々な感想をもらったり、他の人の写真に感想を述べたりした。その場所で、いつも誰かが口にする言葉があった。

「この写真の意図は何ですか?」

その度に私は心の中で呟いた。 んなもんあるかい・・・。

カメラの構造にも設定にも、最後まで興味が持てなかった。

ただ、自分好みに写れば満足だった。いわば、偶然の産物だ。だから、自分がイメージした通りに写ることは稀。代わりに、思った以上の素敵な写真が撮れていることもある。




撮らずにいられない

撮らずにいられない


そんな私だったが、旅好きなこともあり、カメラ、というより写真との付き合いは今日まで途切れることはほどんどなかった。

どんなに気が向かない時でも、何らかのつまらない写真を撮っていた。

何となく、撮らずにいられない生活になった。

今振り返ると、カメラの設定は相変わらず無視というか、わからない。

学ぶ気もない。



ただ、いま目にしている風景をどんなふうに切り取ったら一番自分にとって素敵に思えるか。自然に、そういうことにこだわりを持つようになった。

縦位置か横位置か、まずはそれを決める。 ただし、風景や動きのある対象の場合は、まず撮る。

何も考えず、すぐ撮る。

でないと、変わってしまうからだ。 光が、影が、見えているすべてのものが。

あ!と思った素敵な風景は、一瞬のうちに色褪せてしまう。



バイクと写真

バイクと写真

バイクに乗るようになってからは、さらに素晴らしい風景との出会いが増えた。

しかし、あ!と思った時にカメラを取り出して撮影できるチャンスは減った。

なぜならば、路上を走っているからだ。しかも、荷物として、一眼レフカメラは重かった。

ポケットにも入らない。 しかし、走行中でも、あ!と思ったときには、可能な限り止まれる場所ではバイクを路肩に止める。そして、急いで適当にシャッターを押す。

バイクを手放してからも、旅行にはカメラを持参した。 オリンパスにはカビが生え、荷物は軽いぼどよいと思うようになった頃、デジカメや携帯電話が登場した。




デジタルになって

デジタルになって

早くに友人からのお下がりパソコンを使用していた私は、これまたお下がりで頂いたデジカメにはまった。

何枚でも撮れる。そして、失敗した写真は消せる。

なんて便利なんだろう。 自分で現像する酢酸の臭いのする紙の写真にもこだわりがなくはなかったが、すんなりデジタルの世界に移行した。

そんなふうな写真との付き合いが、今でも続いている。

デジカメはいつしかスマホとなり、荷物が減った。

代わりに、なんとなく写真の重みがなくなった。

でも、綺麗な写真がたくさん撮れるのは素敵なことに違いない。




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