
著者:あおいしか
バイク復帰してほぼ1年半が経過
やっと気持ちよく走れるようになってきました
はじめの頃は、ガクガク感とかエンストが続いていたティーダこと中古の愛車250TRも、油断さえしなけれほぼ快調
2人とも無理なく走れる距離は、100キロからいきなり200キロを超えました ノリノリの季節が始まったようです
カイトは南三陸の漁港の街で生まれた。
カイトの家は代々続く漁師だ。その血によるものか、カイトは子供のころから父の船が大好きだった。高校生になると夏休みには誰に言われるでも無く当たり前のように、父の船に乗り漁を手伝っていた。
夜明け前に港を出て、漁場に着くころに朝日が昇る。日が昇る一瞬前、稀に太陽のふちが緑色に耀くことがある。
『グリーンフラッシュ』という太陽光が屈折して生じる現象らしいが、詳しいことは知らない。でもカイトは緑色に光った時は大漁になると信じていた。だから、日が昇る一瞬に願いを込めるのが常だった。

高校性の時
時は流れ、カイトは高校卒業を迎えた。そして東京の大学に進路を決めていた。
カイトが大学進学で東京に行く前日、いつものように家族で食事をした。地元の鮨店から出前を取り、いつもは酒を嗜む程度の父親が珍しくたくさん飲んだ。酔った勢いか、口が回る。
カイト、お前には宝物があっか?
うーん、今は特に無いかな。
俺にはあんだ。
ふーん、何?
一番は家族、二番めは船と漁の仲間だ。三番目はな、内緒だ。いづが見せでやっから。
何だよそれ。ヒントは?
んだな、じいちゃんの小屋が。
あ、それど、順番つけらんない宝物、そいづは海だ。
後に何度も回想するとになる会話だ。しかしカイトは、しばらくこの時に交わした会話を忘れていた。
新生活の期待と不安を抱えながら、引っ越しの準備に追われていたからだ。その後も大学と生活に慣れるのに精一杯で、実家の事を思い出す余裕も無かった。
大学生の時

一年後、高校を卒業した幼馴染のナギが追うように近所に越して来た。
カイトとナギは生家が近かったこともあり、いつも一緒にいるのが当たり前だった。カイトは実の妹のように1歳違いのナギを大切にしていた。
その関係は2人が高校生になっても変わらなかった。学校帰りにアイスを買い、防波堤に並んで夕日が沈むまでたわいもない話をする。それだけだ。言葉が途切れることもあったけれど、無言の時間が苦にならない関係だった。
ナギが上京してからは、二人で過ごすことが多くなった。東京の慌ただしさに慣れることは無かったけれど、気持ちが落ち着き、生活も安定した。
休日には地名でしか知らなかった場所に二人で出かけた。しかし人混みに圧倒され、高校時代と同じように公園で並んでアイスを食べながら話していることの方が、多かったかもしれない。
震災の時

そんな暮らしがちょうど一年になろうとする三月、テレビから故郷が津波に飲まれる映像が流れた。
2人は固まった。本当に悲しい時は涙も出ないというが、その通りだった。頭が現実を処理しきれず感情が鈍くなり、ただ映像を眺め続けた。
互いの家族の安否確認もままならぬ日々が続いた。直ぐにでも駆けつけたかったが、混乱を極めておりそんな状況ではなかった。
家族の状況が解ったのは何日も経ってからだった。海岸に近い場所にあった2人の育った街、それぞれの家は、大津波で流され跡形もなくなった。
カイトは港で仕事をしていた父親と祖父、叔父、兄を亡くした。
幸いパートで高台の職場にいた母親と、仙台の専門学校にいた妹は助かった。祖父の漁師小屋で作業をしていた祖母は足首まで海水に浸かったが、仲間とともに消防の誘導で、無事助かった。
小さな漁港は、港から続く陸地が急な坂になっている。祖父の漁師小屋は坂の上の方だったので奇跡的に僅かな浸水だけで済んだのだ。
ナギは両親を亡くした。内陸部に住んでいた祖父母だけでも無事だったのを、幸運と呼ぶしかなかった。
翌年になってやっと公共交通と知人の車で、何とか2人で帰省した。
【後編に続く】










