悲しけりゃここへおいでよ 涙ふくおしぼりもあるし
先日、かなり久しぶりに寿司屋へ行った。
チェーン店だが、回らない寿司屋の広いカウンター。高くもないが安くもない。 食べたいネタを選んで注文すると高くなるし、ゆっくりする時間もなかったので、一番安いセットにした。
ランチなら小鉢やデザートまで付いてくるのだろうが、夕飯時は味噌汁とお茶が付いてくる。
一人のせいもあり、パクパクと急いで食べているうちに、ふと涙が出そうになった。
私生活でちょっと辛いことがあるせいか。
けっこう我慢してたんだろうなと、他人事のように思った。

バイク復帰してほぼ1年半が経過
やっと気持ちよく走れるようになってきました
はじめの頃は、ガクガク感とかエンストが続いていたティーダこと中古の愛車250TRも、油断さえしなけれほぼ快調
2人とも無理なく走れる距離は、100キロからいきなり200キロを超えました
ノリノリの季節が始まったようです
悲しけりゃここへおいでよ

昔も似たようなことがあった。
DVから逃げて、泣き顔で座った軽トラのラーメン屋台。
派遣でいじめに遭って、逃げるように通った一人でやってる回転寿司屋。
どちらも、食べ始めるとともに泣き顔になっている自分に気づく。
客商売をしていてたくさんの人を見ているためか、板さんや料理人はお客の様々な様子に敏感に気がつく人が多いようだ。そして、気遣いもある。
その優しさをありがたく感じながら、お寿司やラーメンをいただく。
食べながら、また涙が出そうになる。
昔、通ったラーメン屋

DVの夜、車で家から逃げて衝動的に引き寄せられた軽トララーメン屋台の温かい灯り。
トラックの荷台に沿って置かれた長い木の椅子に座ると、暖簾でちょうど顔が隠れて店主からは見えない。
寒い夜、外のラーメン屋台の温かいラーメンに泣けた。
昔、通った寿司屋

派遣で通うことになった街で、たまたま見つけた、普通の寿司屋を回転寿司風に改装した個人の店。
おやじさん一人で切り盛りしている。
回っている寿司もあるけど、だいたいが注文されてから握る。初めて行ったときから、毎回姫サザエを注文していた。
3度めには、座って間もなく、注文する前に姫サザエが目の前に出された。
行くたびに、回る寿司を見て癒され、寿司を食べながら涙ぐむ。悲しいとか辛いとか、そういう思いを噛みしめてカウンターに座っているわけじゃない。
息の詰まる場所から解放され、何を食べようか、ワクワクして席に着いたはずだ。
なのに、ひと口寿司をほおばると、顔がゆがんで涙が出そうになる。
その瞬間に、気づいた店主は見て見ないふりをしてくれる。
悲しけりゃここへおいでよ! リターン後

バイク乗りに復帰してからは、自由に行きたいところへ行けるようになった。
泣きそうな顔を見られることを気にせずに済む場所へも、いつでも行ける。
見えない大きな存在に見守られた場所。そう、海や山、自然の中へ。
一口でもいい、食べれば元気も湧いてくる

コンビニで買ったおむすびやパン、お茶やコーヒーで十分だ。自分で握ったおむすびなら、びっくりするほど美味しく感じる。
泣こうが笑おうが変な顔をしていようが、何も気にすることはない。自然の中で自由に居させてもらえる。
だから、かえって泣き顔になることも少ない。無心で食べているうちに、嫌なことを忘れて知らずに笑顔になっていたりする。
だけど、罪悪感のある人間はそうはいかないかもしれない。相手が人間なら、いくらでも言葉や表情を偽ることができるけれど、見えない大きな存在に嘘、偽りは通用しないからだ。
誰もいないのに、誰かに見られている気がして落ち着かないに違いない。どんな悪人でも、自分の中に善人もいて、その善人が常に自分の悪人部分を見張っていたりもするからだ。
悲しけりゃ、なんとなく辛いなら、
なんとなく気になる寿司屋やラーメン屋、自然の中へ行って何か食べるといい。
好きなもの、美味しいものを。 食欲が無ければ、ほんの一口でもいい。
何か食べてみるといい。
きっと元気が湧いてくる。
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